너의 이름은은 세카이계와 미소녀게임 토양에서 길러진 감성을 현대 인싸들 입맛에 맞게 어레인지 한 것


『君の名は。』の美少女ゲーム的構造

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 ぼくが『君の名は。』を試写で観たときの第一印象は、これは「セカイ系や美少女ゲームといった自らの作家的出自に自覚的に回帰している」と同時に、「それ以降の時代の変化にもうまく乗っている」作品だというものでした。どういうことか。

 まず、『君の名は。』の物語構造や映像表現は、それ自体きわめて「(美少女)ゲーム的」だといえます。たとえば、それは映画の冒頭部分のシークエンスから如実に窺われる。最初にざっと要約すれば、『君の名は。』は、田舎に住む女子高校生・宮水三葉(上白石萌音)と都会に住む男子高校生・立花瀧(神木隆之介)が、時空を超えてかれらの夢のなかで起こる「身体の入れ替わり」からはじまる、いっぷう変わったジュブナイル・ラブストーリーです。時間的にも空間的にも遠く離れたふたりの主人公は、眠っているあいだにおたがいの身体が入れ替わってしまうことに次第に気づきはじめますが、目覚めるといつも、入れ替わっているあいだの記憶はなくしてしまう。

 さて、主題歌とアヴァンタイトルの出たあと、映画はまず、まさに身体が三葉に入れ替わって目覚める瀧を描きだします。二階の自室で朝日にぼんやりと目を開けて起きあがってから、パジャマの下で膨らんだ見馴れない胸元を見降ろすPOVショットが入る。その後、身体が入れ替わっていることに気づいて驚く一連の様子が展開されるのですが、続いて制服を着た三葉が下階の祖母と妹が朝食を食べている居間に降りてくる。ショットは連続しているので観客は最初勘違いするのですが、「お姉ちゃん昨日おかしかったよ」という妹の台詞が入るので、そこは記憶が失われて三葉が自分の身体に戻ったあとの場面だということがわかります。いずれにせよ、以上の冒頭シークエンスのつらなりにも象徴されるように、『君の名は。』の場面展開は総じて、三葉や瀧ら登場キャラクターのいずれかひとりの視点=意識から捉えられた、きわめて「主観的」なショットのみで構築されているのです。これはたとえば、ファンタジー嫌いで知られ、作品のあらゆるシークエンスを徹底して「三人称客観ショット」のみで構成しようとするリアリスト・高畑勲のアニメーションとは対照的な志向でしょう(高畑は新海作品には否定的なはずです)。

 そして、いうまでもなくこの演出は物語のキーポイントである三葉と瀧の身体の入れ替わりにかかわるいわゆる「記憶喪失」のモチーフとも密接につながっています。たとえば、物語評論家のさやわかは、この記憶喪失の主題について、「アニメ」というジャンル特有の図像の記号性に注目して論じていました(「ぼくたちはいつかすべて忘れてしまう」、『ユリイカ』9月号所収)。しかし、ぼくの考えでは、この場合にむしろ類比すべきなのは、どちらかといえば、ほかならぬ「美少女ゲーム」のシステムのほうだろうと思われます。

 さきほども述べたように、美少女ゲームや乙女ゲームを含めたノベルゲームの構造とは、視点プレイヤーの主観ショットから見た画像がディスプレイに表示され、プレイヤーは、背景画のうえにイラストで登場する複数の異性キャラクターとのそれぞれ恋愛ルートを分岐ごとの選択肢を選びながら楽しみ、恋愛が成就(「攻略」)すれば「トゥルーエンド」、失敗すれば「バッドエンド」という結末にたどりつく。その過程でプレイヤーのリニアな物語は何度も「リセット」され、事実上どこまでもループしてゆくというゲーム特有のノンリニアな構造をもっています。

 この、プレイヤーと作中キャラクターの視点が構造的に分離し、遡行的に見いだされる複数の「可能世界」=「世界線」のあいだをループ的/並行的に移行するという物語表現やリアリティは、東浩紀が「ゲーム的リアリズム」(『ゲーム的リアリズムの誕生』)と呼んだもので、ゼロ年代以降、国内外問わず、非常に流行しました。日本のオタク系コンテンツの文脈でいえば、ハリウッド映画にもなったライトノベル『All You Need Is Kill』(04年)や、これも社会現象にまでなったライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』(03年)、細田守監督のアニメ映画『時をかける少女』(06年)、そして新房昭之監督のアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』などいくつも挙げられます。また、これに関連してゲーム的なリセット=記憶喪失の物語も、同時期に数多く作られました。大ヒットした韓国恋愛映画『私の頭の中の消しゴム』(04年)が典型的ですが、たとえば、『君の名は。』では入れ替わり中のことを忘れてしまう主人公たちがたがいの顔や手に文字でメッセージを書いて伝える姿が描かれていますが、これなどはクリストファー・ノーラン監督の『メメント』(00年)を思い起こさせる細部でしょう(この「表層性」がいかにも「アニメ的」だという解釈も可能でしょう)。

 また、こうした「記憶喪失的」な主題は、作中でほかのところにも認められます。たとえば、三葉の生家である宮水神社で執り行われる豊穣祭の舞いの由来が、はるか昔に起こった大火のためにいっさい失われてしまい、いまは「形だけしか残っていない」のだと説明される設定もまた、いかにも「記憶喪失的」です。また他方で、後半のクライマックスのなかで、三葉が赤い組紐をカチューシャふうに結びなおすシーンが出てきますが、そのルックはぼくの世代のオタクが見ると、おそらくどう見ても涼宮ハルヒを思いだすでしょう。いわばここにもゲーム的構造をもった先駆作『ハルヒ』に対する隠れた目配せが示されているといえなくもありません。

「原点回帰」となった作品

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 いずれにせよ、もうおわかりのとおり、『君の名は。』の物語とは、いわばプレイヤーが感情移入すべき作中キャラクターから見た「可能世界」(世界線)が一回ごとに「リセット」されて幾度もループし続ける、ノベルゲーム的な構造を如実にそなえているといえます。さらにこの見立ては、物語の後半と結末で、瀧が糸守町に軌道を外れたティアマト彗星が落下して町民もろとも死んでしまう運命にあった三葉を、時空を超えて救いだすという展開にそのままつながってゆくでしょう。いわば『君の名は。』とは、ゲームプレイヤーが、ヒロインが死んでしまうという「バッドエンド」の可能世界(ゲームルート)から何度もリプレイを繰りかえして、ふたりが生きて再会する「トゥルーエンド」にいたるまでのゲーム空間だとみなせるのです(こうした想像力は、たとえば今年の「SMAP解散騒動」の謝罪会見でもネタにされたように、かなり一般化しています)。ついでにいうと、『君の名は。』に見られるこれらのゲーム的特徴は、今回、いたるところで新海との交流がフィーチャーされている岩井俊二の作品にも共通しています。じつはこれは拙著『イメージの進行形』(人文書院刊)でもすでに書いたことなのですが、岩井もまたテレビドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(93年)や映画『花とアリス』(04年)など、きわめて「美少女ゲーム的」な構造やモチーフをともなった作品を手掛けているのですね。また、ほかにも岩井と新海は、逆光表現を多用した繊細な映像表現や、音楽の効果的な使い方、あるいはかたや「ミュージックビデオ」、かたや「パソコンゲーム」と、「映画」や「アニメ」とは異なる分野から進出し、成功を収めたという経歴でも共通しているところが多い。

 とはいえ、『君の名は。』はゲーム的、というよりもやはり、あくまでも「美少女ゲーム」のジャンル的記憶を濃厚に背負っているようにぼくには思われます。たとえば、三葉が妹から自分の作った口噛み酒(Twitterでさっそくネタにされているように、この設定自体、なかなかエグいものがありますが……)を売ればいいんじゃないとからかわれた瞬間に、彼女の脳裏に浮かぶいわゆる「JKビジネス的」な広告イメージを挿入する演出などは、少なくともたんなる「爽やか青春ラブストーリーアニメ」という定型からははみだした要素を感じます。『君の名は。』において新海は、だれもが安心して観られるようなファミリー向け作品を志向するジブリや細田アニメならば排除するであろう、セクシャルな演出をあえて避けずに取りこんでいるわけです。

 ともあれ、『君の名は。』をその深部で規定しているのは、新海がその出自としてもっている、ゼロ年代の美少女ゲームのジャンル的想像力だといえると思います。しかも他方で、はるか上空から飛来する巨大な彗星群が、親密でありながらも遠く隔たった場所にいる一組の少年少女の――とりわけヒロインの――運命を引き裂き、かれらのいる「世界の危機」を救うべく主人公が奮闘して成長してゆく――以上のような『君の名は。』の物語は、これも述べたとおり、『星の追う子ども』(11年)、『言の葉の庭』(13年)といった近年の作品とは異なり、明らかにかつての「セカイ系」と呼ばれた初期作品群にふたたび回帰しているともいえるでしょう。その意味で、『君の名は。』は新海が、自身の正統的なアニメ史的文脈からは遠く隔たった特異な創造的出自を意識し、明確に「原点回帰」した作品だということができるのです。


捻れた「国民アニメ」の誕生

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 さて、――にもかかわらず、です。

 今回の空前の『君の名は。』現象が興味深いのは、かつて「10~30代の男性オタク」をおもな消費者にし、しかも男性向けポルノメディアのムービー制作にもかかわっていた新海が、明確にそれらかつての物語的/ジャンル的記憶に「原点回帰」して作っているはずの作品が、セカイ系も美少女ゲームもまったく知らない「10代の女性観客」を中心に、目下、前代未聞の大ヒットを記録しているという事実でしょう。きわめてニッチなファンに向けて、マイナーなジャンルから出発した作家が、ある種の「原点回帰」した作品で、破格のメジャー性=国民性を獲得してしまった。ここには、多くの「捻れ」が潜んでいます。

 実際、たしかに『君の名は。』は、何度も述べたように、物語的にも演出的にも、ジブリや細田アニメのような「国民的アニメ」「ファミリー受け」を明確に志向していない。また、かつてのぼくたち若い男性観客が支持したセカイ系的な世界観や設定も多く含んでいる。にもかかわらず、これもまたたしかに、他方でぼくは『君の名は。』を観たとき、決定的な違和感も覚えました。本作は表面的にはセカイ系的でありながら、しかしどこかセカイ系とは違う。

 それはおそらく、主人公の瀧がセカイ系的ヘタレ男子――『雲のむこう』の浩紀や『秒速5センチメートル』(07年)の貴樹などを思い浮かべてください――とは異なる、いかにも「ポストゼロ年代的」な主体的に行動し、運命を変えていこうとする「リア充的」なキャラクター像に変えられているからです。実際、こうしたモデルチェンジは、近年のオタク系コンテンツではしばしばありました。たとえば、『秒速』のセカイ系非モテ主人公・貴樹と『君の名は。』のリア充主人公・瀧の違いは、旧『エヴァ』の主人公・碇シンジと『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(09年)のシンジのキャラチェンジにぴったり対応しているといえます。だからこそ、『君の名は。』はまぎれもなくセカイ系的なアニメでありながら、どこかかつて観たものとは違う、セカイ系ならざるアニメでもあるわけです。ともあれおそらく新海は、こういったマイナーチェンジを細かく積み重ねることで、今回、「ファミリー向け」の作りでなくとも、「国民的」な規模の大ヒットアニメを作ることができると証明してしまった。ここにこそ、『君の名は。』の画期があります。

 『君の名は。』は、かつての宮崎の『風の谷のナウシカ』(84年)のように、あるいは庵野の『新世紀エヴァンゲリオン』のように、日本アニメ史の何かを確実に変えてしまった。しかし、それは何かの継承というよりも、むしろ決定的な「断絶」です。日本アニメ界の「鬼っ子」新海が作った新作は、文字通り日本アニメの完全な「鬼っ子的」傑作になりました。そして、おそらくはこの「鬼っ子」=例外が「オリジン」=起源となる、新たな日本アニメ史がこれから立ちあがってくるのだろうとぼくは思います。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部助教。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『君の名は。』
全国東宝系にて公開中
声の出演:神木隆之介、上白石萌音、成田凌、悠木碧、島崎信長、石川界人、谷花音、長澤まさみ、市原悦子
監督・脚本:新海誠
作画監督:安藤雅司
キャラクターデザイン:田中将賀
音楽:RADWIMPS
(c)2016「君の名は。」製作委員会
公式サイト:http://www.kiminona.com/

新海誠はアニメ界の「鬼っ子」的存在

 新海誠監督の新作アニメーション映画『君の名は。』が、記録的な大ヒットを続けています。公開10日間ですでに興行収入が38億円を突破したといいますから、これはもはや2010年代のアニメ界におけるひとつの「事件」といってよいでしょう。今年の夏はさまざまな意味で「平成の終わり」を実感させられるニュースが相次ぎましたが、まさにアニメ界においても、名実ともにいよいよ「ポストジブリ」の新時代が到来したことを感じさせるできごとです。

 しかも注目すべきは、今回のヒットが、内容的にもスタジオジブリやスタジオ地図(細田守)のように、老若男女、幅広い層から支持されているというよりは、10~20代の若者世代、とりわけ女性層に特化して受けているらしいという点です。この『君の名は。』をめぐる現在の盛りあがりには、ゼロ年代から新海作品を観続けてきたアラサーのいち観客として、いろいろと感慨深いものがあります。

 新海のアニメーション作品を観るうえで、ぜひ踏まえておきたいキーワードがふたつあります。ひとつは、「セカイ系」。もうひとつは、「美少女ゲーム」です。

 このふたつはいずれも、後述するように相互に関係しあっており、いわゆる「ゼロ年代」(2000年代)のオタク系カルチャーの本質を考えるうえで絶対に欠かせません。すなわち、新海誠というアニメーション作家の独創性、新しさを理解するうえでほんとうに重要なのは、かれがゼロ年代という固有の時代、そしてアニメ以外のオタク系コンテンツという固有の領域とが交錯する地点で出現したイレギュラーの才能であり、だからこそ、たとえばジブリ(宮崎駿、高畑勲)から押井守、庵野秀明を経て細田守にいたるような、戦後日本アニメ史の正統的な文脈やレガシーをじつはほとんど共有していない、いわばアニメ界の「鬼っ子」的存在だという事実なのです。結論からいえば、だからこそ今回の『君の名は。』の「歴史的」大ヒットは、一方で、日本アニメ史における大きな「切断」になりうるのであり、また他方で、(ゼロ年代から新海を観てきた男性観客にとっては)新海個人のキャリアにとっても新たな転換点になったと思うのですね。

新海アニメを支える「セカイ系」と「美少女ゲーム」

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 では、まず当時の状況を知らない若い読者のために、文脈を簡単におさらいしておきましょう。

 新海の出世作となった自主制作アニメーション作品第2作『ほしのこえ』(02年)は、今日のアニメ界ではおもに以下の2点において評価されているはずです。第一に、ほとんどの制作作業をデスクトップ上で新海ひとりによって手掛けられながら、高いクオリティをも獲得した新世代のディジタル・アニメーションの金字塔として。そして第二に、いわゆる「セカイ系」作品の代表作のひとつとして、です。

 セカイ系とは、おもにゼロ年代初頭から前半にかけてアニメ、マンガ、ライトノベル、ノベルゲームなどのオタク系コンテンツで流行した固有の物語類型を指す言葉です。それらは、いわば「物語の主人公(ぼく)と、かれが思いを寄せるヒロイン(きみ)の二者関係を中心とした小さな日常性(きみとぼく)の問題と、「世界の危機」「この世の終わり」といった抽象的で非日常的な大問題とが、いっさいの具体的(社会的)な説明描写(中間項)を挟むことなく素朴に直結している作品群」と定義されます。ごく簡単にいえば、「自意識過剰でひきこもりがちの郊外に住むヘタレな男子が、はるか遠くで戦う好きな女の子を思いながら、ウジウジ自分語りする物語」だと思っていただければいいでしょう。

 現代日本のサブカルチャーに決定的な影響を与えた傑作アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95~96年)の築いたさまざまな物語類型や想像力をダイレクトに受け継いだとされるこれらセカイ系作品は、当時のハイティーンから30代前半くらい、ぼく自身も含まれる、いわゆる「ロスジェネ」と呼ばれた世代の男性オタクたちに強く支持されました(そもそもぼくも22歳のときに執筆し、当時、セカイ系を肯定的に評価していた批評家・東浩紀氏に認められたデビュー評論がセカイ系論でした)。何にせよ、繰りかえせば、新海の初期作品、『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』(04年)はそうしたセカイ系作品を象徴するアニメだとみなされたのです(そういえば、ゼロ年代後半に同世代のライター仲間といっしょに某ミステリ小説専門誌で「謎のむこう、キャラの場所」というタイトルの連載をやっていたのも思いだしました……)。

 さらに、このセカイ系の作品群が流行していたのとほとんど同時期に、同じロスジェネ世代の(まあ、当然ながら)男性オタクたちのあいだで流行していたのが、美少女ゲームというコンテンツでした。

 美少女ゲームとは、ゲームのプレイヤーが視点人物(男性)となって、登場する複数のアニメ調の美少女キャラクターとの分岐ルートごとの恋愛などを楽しみ、しばしばポルノグラフィックな表現や展開も盛りこまれるパソコンゲームです。それらはおもに90年代後半からゼロ年代前半にかけて独自の発達を遂げ、ときに「ギャルゲー」や「エロゲー」とも称されるように基本的にはポルノメディアとしての要素を多く含むものでもありました。ですが、同時にその独特の物語表現やシステムが注目され、これもゼロ年代のサブカルチャー表現に広く影響をおよぼしていきました。

 たとえば、当代屈指のベストセラー作家である西尾維新など、美少女ゲームからの大きな影響を公言するクリエイターも少なくなく、『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書刊)の東浩紀や『不可能性の時代』(岩波新書刊)の大澤真幸のように、美少女ゲームをまじめに論じた著名な知識人も多くいます。そして、知られるように、美少女ゲームやエロゲー、そしてそれらに相当する同人ノベルゲームのライターから出発し、のちに一般向けアニメ作品で傑作やヒット作を生みだす有名クリエイターも数多く登場してきました。『Fate/stay night』(04年)の奈須きのこ、『ひぐらしのなく頃に』(02~08年)の竜騎士07、『魔法少女まどか☆マギカ』(11年)の虚淵玄、そして『Charlotte』(15年)の麻枝准……などなど。つまり、美少女ゲームは、本来はアングラなポルノメディアでありながら――いや、だからこそ突出した才能を生みだした、現代のポップカルチャーの趨勢を考えるときにきわめて重要なコンテンツなのです。そしてつけ加えておきたいのが、アニメ化もされた麻枝の代表作『AIR』(00年)など、「泣きゲー」と呼ばれた一部のギャルゲーはセカイ系作品としてもみなされていました。これが、新海デビュー当時のオタク系カルチャーの「風景」(の一部)です。

 さて、あらためて話を新海作品に戻しましょう。

 ようは新海とは当初、まさに以上のような文脈から登場してきたクリエイターだったのです。作品はセカイ系の代表作と評価されましたし、実際、『君の名は。』公開直後の対談記事でも、かつての自分の作品の観客は「20~30代の男性」が中心だったと話しています。そして、今回のヒットであらためて注目されつつありますが、新海もまた、もともとはほかならぬ「ギャルゲー出身」のクリエイターでした。

 知られるように、かれは大学卒業後、ゲーム制作会社「日本ファルコム」に勤めており、活動初期に、「minori」というエロゲーブランドから発売された『Wind -a breath of heart-』(02年)や『はるのあしおと』(04年)といった18禁ゲームのオープニングムービーをいくつか手掛けています。そして、04年にはさきほどの東氏が刊行した『美少女ゲームの臨界点』という美少女ゲームを扱った同人評論集に、まさに『AIR』をモチーフにした描き下ろし表紙イラストを提供したりしているのです(ちなみに、この同人誌には虚淵玄も登場しています)。

 ともあれ、自身の公式サイトのフィルモグラフィにこうした「ギャルゲー時代」の情報や動画をいまなおアップしていることからも窺われるとおり、新海もまた、アニメ界で一定の認知をえた現在でも自らの作家としてのアンダーグランドな出自を比較的オープンにしています。たとえば、それは『ほしのこえ』公開当時の新海の以下の発言からも明らかです。

 僕がこれまで作ってきたCGアニメーションとか、ギャルゲーのオープニングと全く同じ方法で作ってますので、ルーツという意味ではやっぱりCGとかギャルゲーなのかな、と思っています。
(『アニメージュ』02年10月号)

 いずれにせよ、新海とは本来、アニメではなく、ゼロ年代の「ゲームのひと」、しかも「ポルノメディア」の近傍で活動を開始した作家なのであり、それは当然、東映動画出身の宮崎や細田、破格のオタク的教養人である庵野とはそのスタンスがやはり決定的に異なります(したがって、評論家の飯田一史が『ユリイカ』9月号の論考で鋭く指摘するように、新海を「ポスト宮崎駿」「ポスト細田守」と呼ぶのはおかしい)。これらの一連の事実は、いま、『君の名は。』を観るとき、おそらく非常に重要です。








[스포일러]『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』 세리자와 박사의 ◯ ◯의 의미, 라스트 장면 해설 ─ 마이클 도허티 감독 인터뷰 영화

할리우드 『 고질라 』 시리즈의 최신작 영화『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』는 고질라 영화 괴물 영화 팬인마이클 도허티감독의 생각이 이건가?라고 주입된 한개다.고질라, 모스라 라돈 킹키드라이라는 도호 괴수 영화의 지보가 "사상 최강의 괴수 배틀"을 벌이는 이 영화는 스토리도 도허티 감독의 고집이 꽉 차있다.

THE RIVER에서는 본작의 공개에 있어서 방일한 도허티 감독에 이야기의 키 포인트에 대해서 직접 말하고 받았다.물론 중대한 스포일러가 다분히 포함되어 있으므로, 아직 보지 못한 분은 우선, 극장을 찾았으면 좋겠다.

ゴジラ キング・オブ・モンスターズゴジラ キング・オブ・モンスターズ

두 사람의 세리자와 박사

『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』은 도호 제작 『 고질라 』 시리즈에 큰 경의가 낸 작품이다.괴물이 격돌하는 전개나 연출에는 『 세 대괴수 지상 최대의 결전 』(1964)과 『 괴수 대전쟁 』(1965)『 고릴라·모스라 킹 기도라 대괴수 총공격 』(2001)등의 영향이 짙게 느껴진다.한편 이 영화는 1954년 제작의 정품 『 고질라 』에도 직결되는 부분도 갖고 있다.와타나베 겐 하는세리자와 이시로 박사에 대해서 말하자면 이제"초대 『 고질라 』의 정신적 속편"라고 불러도 무방할 것 같다.

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©2019 Legendary and Warner Bros.Pictures.All Rights Reserved.

에마 러셀 박사와 전 용병의 환경 테러리스트, 앨런 죠나들읜다는 계산에 의한 지구는 잠에서게 깨닫 괴물이 발호하는 별이 되었다.인류는 괴수의 움직임을 멈출 수 있도록, 고질라와 킹키드라가 가혹한 싸움을 벌여바닷속에 옥시즌·디스트로이어를 투하.그러나 이 신무기의 공격은 고지라를 다시 긴 잠에 빠지고"지구의 자연에 반하는 우주 생물"인 킹키드라를 왕좌로 끌어 버렸다.인류는 무수한 괴수들과 유일하게 제대로 않는 존재를 잃어버린 것이다.

거기에서 비밀 조직 모나크와 세리자와 박사는 고질라를 부활시키는 방법을 고안한다.그것은 과거 고질라를 만들어 낸 핵 무기로, 자는 고릴라를 다시 각성시킨다는 것.그러나 그러기 위해서는 고질라가 잠든 해저 유적까지 핵무기를 탑재한 잠수함으로 이동해 자력으로 무기를 기동하는 것에서 자신의 목숨을 바치지 않을 수 없었다.이 무모한 작전에 세리자와는 "내가 가"이라고 선언하고.

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1954년판 『 고질라 』의 세리자와 다이스케 박사는 파괴인 만큼을 다한 고질라를 죽이려고 물 속에서 옥시전·디스트로이어를 실행하자 스스로 목숨을 끊다.그리고 65년 후의 『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』에서, 세리자와 이시로 박사는 고질라를 살리기 위하여 최후이다.한 사람은 고릴라 잡는 데 다른 사람은 고릴라를 살리기 위하여 단독으로 바다 속으로 뚫기이다이 대비는 도허티 감독 가라사대"물론 매우 의도적인 것"이라고 한다.

"본작의새로운 세리자와 박사는 과거 세리자와의 실패를 바로잡기 위해서 행동하는 것이라고 생각하고 싶었을이번 세리자와 박사도 오리지널 세리자와 박사와 같은 길을 걷고 있습니다.그러나 1954년판 세리자와는 고지라를 죽였다.우리 자신의 신을 죽인 것입니다.본작의 세리자와는 것과는 달리 자신의 신을 구하려고 하고 있습니다.

그래서 이번에는세리자와는 인물을 처음으로 고릴라의 몸에 닿는 인간으로 그렸습니다이는 의미가 있는 일이고세리자와는 애정을 갖고 고지라에 닿게 된다.고질라에 거의 사과할 일이다것입니다."

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도허티 감독의 생각의 힘은 등장하는 새 무기에 일부러"옥시즌·디스트로이어"의 이름을 준 것이 밝혀질 것.옥시즌·디스트로이어에 의해서 고질라가 생명 활동을 정지한다는, 정품 『 고질라 』의 재현을 거치는 것이, 세리자와 박사의 마지막 행위를 그리는 데는 절대 필요했던 것이다.




인류와 괴수의 공생

핵무기가 폭발할 즈음, 해저 유적 가운데, 고질라와 세리자와 박사는 시선을 나눈다.그리고 살아난 고지라는 함상 마크 러셀 박사들 모나ー크의 멤버도 미미한 커뮤니케이션을 거쳐서 그리고 괴수들의 결전으로 치닫고 가는 것이다.『 고질라 』 시리즈에서 고릴라와 인류가 이만큼 명확한 공동 투쟁 관계를 맺은 것( 그렇게 해석할 수 있는 묘사가 이루어진 것은 매우 드물다.

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©2019 Legendary and Warner Bros.Pictures.All Rights Reserved.

『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』의 인류와 고릴라의 관계에 대해서, 도허티 감독은""공생"이라는 주제는 원래 『 고질라 』 시리즈가 그렸던 것.본작에서도 그것을 답습했습니다"라고 말하고 있다.

"(『 고질라 』 시리즈"공생"은)인류와 괴수의 상생뿐 아니라 인류와 어머니인 자연과의 공생의 비유가 되고 있습니다.고질라와 괴수들과 인류가 다시 관계를 만들겠다는 것은 과거 어머니인 자연 사이에 존재한 인연을 맺어 것입니다.그것은 어느 종족이 이 세계에서 살아남기 위한 유일한 방법이죠.

자연과 관계를 맺언다는 것은 서로 공생하는 것을 배움도 통하고 있습니다.무엇보다 중요한 것은 타인을 받아들이고 공생하는 것을 배우고그 중에는 자신과 다른 것이나 무섭다고 느끼는 것도 포함되어 있겠죠.가령 그것이 괴물이거나 자연스럽거나 자신과는 다른 인간이거나하는 것입니다."

그리고 도허티 감독은 "모든 괴물 영화는 그런 주제를 내포하고 있다고 생각합니다"라고 말했다.『 고질라 』 시리즈뿐만 아니라 『 킹콩 』과 『 프랑켄 슈타인 』, 『 노틀담의 세무시 남자 』 등 온갖 작품에는" 다른 사람을 겉으로만 판단하지 않고 제대로 전체를 바라보는 자신과 다른 부분을 수용하라는 테마가 있다"것이라고.

"고지라 괴수의 역습"

그런데 인류와 괴수의 공생이 테마의 하나가 된 『 고질라 킹 오브 몬스터즈 』은 순수하게 대등한 상생이 아니라 오히려 뜻밖의 결말을 맞는다.살아난 고질라가 괴수왕에 군림하면서 인류는 지구 주도권을 괴물에게 물려주는 것이다.모나크 멤버들과 소녀 매디슨은 고릴라의 포효와 고질라에 머리를 숙여괴수들의 모습을 비행정에서 바라보는 수밖에 없다.변모한 세계를 사람들이 바라보는 라스트 장면은 3부작의 제2작이라는 점을 감안하더라도『 스타 워즈/제국의 역습 』(1980)을 상기시키는 것이다.

과감히"이거 『 제국의 역습 』 안 된다"괴수의 역습"에요...?"라고 물어봤더니 감독으로는 의외로"지적된 것은 처음입니다"란 답변이 돌아왔다.

"이 영화는 『 제국의 역습 』에 큰 영향을 받고 있습니다엔딩의 클리프 행어[편주:이야기를 엉거주춤하게 해서 마무리를 맞작극 방법]도 그래.인간이나 영웅들에서 보면 정말 좋은 일일지 모르겠다, 매우 불안정한 상황으로 내몰리는 결말입니다."

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다만 도허티 감독은 곧바로"하지만 나에게 이 결말은 해피 엔딩. 너무 긍정적인 끝나는 방법이라고 생각하고 있습니다"이라고 첨가할 것을 잊지 않았다.

"나에게는 지금이야말로 "세계는 이래야 할 "이라고 생각하는 모습. 즉 고질라를 통해서인데, 자연이라는 것이 다시 왕관을 쓰고 있는 세계입니다. 나는 인류는 다시 자연으로 종속하는 존재가 되지 않으면 안 된다고 생각하고 있으니까요.그것에 파괴와 창조는 동전의 앞뒷면.인류가 "파괴"이라고 생각하는 것은 고지라에게는 "창조"인지도 모릅니다."

2018년 12월도 방일했다 도허티 감독은 "도쿄 코미 공"의 스테이지 위에서 "이 영화는 "몬스터 오페라"입니다.『 스타 워즈 』이 스페이스 오페라인 것처럼 "이라고 말했다."괴물은 정말 아름다운 것이라고 생각합니다.혹시 괴물을 현실화하는 버튼이 있으면 누르다 싶어"라고.이른바 도허티 감독은 본 작품의 결말로 "괴물을 현실화하는 버튼을 누르다면 어떻게 될까"을 보이고 준 것도 할 수 있다.도허티 감독이 만들고 싶었던 세계, 이상의 세계는 라스트 장면에서 마침내 완성한 것이다.

https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/


야구계의 사건들이 너무 KBO에게 안좋게 돌아간다

2018년 전반까지 류현진 부상 강정호 음주운전에 한화 잘나감으로 KBO 인기절정 >> 그런 많은 사람들이 야구를 보고있는 상황에서 아시안게임 오지환 병역+대만에 충격적 패배로 KBO 인식이 나빠지고 안보겠다는 사람이 생김 >> 후반기 류현진 복귀후 1점대 최고활약으로 kbo 때려친 야구팬이  mlb를 봄 >> 포스트시즌 kbo는 비인기구단 넥센이 인기구단 한화를 이기고 비인기구단 sk가 인기구단 두산을 누르고 우승 >> 두산갤 등이 몇달동안 털리는 등 두산팬을 그만두고싶게 만듬

그리고

2019년 야구인기 하락하기 시작하는데 공인구가 안날아가게 바꿔서 투고타저가 되어 경기가 재미없어짐 >> 최상위권 상위권 하위권이 매우 명확히 나뉘어서 사람들이 경기를 볼 의욕이 떨어짐 >> 전통의 인기팀 롯데한화기아가 나란히 꼴지와 하위권 >> 그런 타이밍에 류현진이 또 1점대 최고활약으로 kbo보단 mlb를 보게만듬 >> 화제를 몰아야할 파이어볼러 안우진 조상우는 범죄혐의로 체포당한 경력이 있음+비인기팀 >> 최상위권에 인기구단인 두산은 감독의 막말+혹사로 여론에게 엄청 까여서 두산팬 하기 싫게됨


지금의 중국은 소련과 버블일본을 더한 나라다

지금 중국은 소련이랑 버블 일본을 합친 나라
소련의 땅,인구수와 사회주의 그리고 버블 일본의 돈이 합쳐진 상태
거기다 소련과 일본이라는 과거에 미국한테 패배한 반면교사가 있어서 그 이유를 철저히 분석해서 대비 중

버블일본 요소는 돈 말고도 미국과의 긴밀한 관계도 있다 그리고 시진핑은 일본이 패배한 이유를 너무 미국에 의지했기 때문이라고 보고 점점 중국의 대미의존을 끊어내고 독자적으로 나아가려 하고있다
트럼프가 중국을 때리는듯이 보이지만 이것은 사실 중국이 원하는 전개다

중국은 소련이 패배한 이유를 돈이 없어서였다고 보고있기에 자본주의를 촉진시켜왔다 그것은 실로 성공적이며 중국의 경제력은 일본을 한참 뛰어넘어 미국의 턱밑까지 따라온 상태이다

만약 미국이 이기고 싶었다면 지금 트럼프가 하는 짓을 10년 전에 했어야했다 그때의 중국은 아직 소년기였고 소년은 혼자선 제대로 성장할 수 없다 부모가 필요하다 20년 전부터 미국은 중국을 길러왔다. 지금은 중국이
성인이 되어 부모에게서 독립하려는 시기다.

일본의 속담 중에 子供は親を超える라는 말이 있다 아이는 부모를 뛰어넘는다는 뜻이다 그리고 또 하나 子供の成長が親を超えたとき、親は子供を理解できなくなる라는 말도 있다 뜻은 아이의 성장이 부모를 뛰어넘었을 때 부모는 아이를 이해할 수 없게 된다라는 말이다 과연 미래는 속담처럼 될까?

중국을 낳아준 엄마가 소련 크는데 필요한 돈을 투자한 아빠가 미국. 그리고 중국은 문화대혁명으로 효를 중시하는 유교정신은 사라져버렸다. 
그렇다고 해도 아이는 어머니를 그리워하는 법이다 중국은 소련의 사회주의를 만든 레닌과 스탈린을 존경하고 또 보고싶어한다
https://t.co/syseds31SY

그리고 아이는 아버지는 증오하게 되며 뛰어넘으려고 한다 즉 오이디푸스 컴플렉스이다 중국에게 그 대상은 미국이다

중국은 사이 나쁜 이혼부부 사이에서 자라난 아이의라는 느낌이랄까요 소련과 미국은 힘을 합쳐 중국을 만들어냈다 그러나 뒤이은 냉전으로 부부는 이혼 아이는 어머니 소련쪽에 맡겨져서 10살 정도까지 자란다 어머니와의 삶은 가난했지만 아이의 정체성을 결정하는 중요한 기간이었다

그 어머니는 아이가 10살이 됐을 즈음에 갑자기 죽어버린다 그리고 그 뒤로는 아버지에게 맡겨졌게 되었다 아버지는 부자고 삶 역시 유복했지만 아이는 어머니를 죽게만든건 아버지라고 생각하고 있었다. 하지만 그 마음은 성인이 될 때까지 숨겨가며 주어진 상황에 맞춰 성장한다 아버지 미국을 넘기 위하여

그리고 현재가 바로 중국은 성인이 되었고 드디어 아버지 미국에 대한 적대감을 대놓고 드러내게 되었다. 과연 아이는 아버지를 뛰어넘을 수 있을까? 그건 10년 뒤에 알게될 것이다


번외) 소련 일본에 비해 중국이 부족한 점은 역시 문화컨텐츠다 시진핑은 그걸 알고있기에 일본의 문화를 돈으로 사서 중국꺼로 만드는 중이다 (고질라, 피카츄 등의 실사영화를 제작한 레전더리 픽쳐스는 몇년 전 중국 굴지의 대기업에게 팔렸다)

거기다 이미 건담과 나의 히어로 아카데미아 영화판 제작이 레전더리에서 이루어지는게 예정되어 있다. 여기서도 이번 고질라 킹 오브 몬스터즈처럼 중요한 무언가를 중국으로 바꾸겠지

그리고 본국에선 그 일본에서 샀단 사실은 감추고 중국으로 포장한 문화컨텐츠를 보고 자라난 아이들(이 아이들은 그것이 중국꺼라고 생각한다) 이 미래에는 완전 중국독자적인 문화컨텐츠를 만들어낸다는 완벽한 계획

타노스와 죠죠의 디아볼로,푸치신부의 차이와 비교 영화




둘다 자기 이익만을 위해 딸을 죽이려했는데 
하나는 디아볼로는 친딸이고 타노스는 양자임
보통 아버지가 피가 이어진 친딸을 죽이는 편이 피가 이어지지 않은 그냥 입양한 딸을 죽이는 것보다 훨씬 괴로울텐데

디아볼로는 아무 거리낌 없이 딸을 죽이려고 한 걸로 싸이코스러움을 연출했고 
타노스는 딸을 사랑하지만 죽였다는 걸로 각오를 보여줬음(참고로 "각오"는 죠죠의 가장 중요한 주제 중 하나임)

죠죠는 4부에서 이미 "아버지가 의도치 않게 만들어버린 자식"을 내놓고 5부에서 한번 더 반복하는 것으로 황금의 정신을 가진 죠셉과 거무칙칙한 악인 디아볼로를 대비가 되게 구성해놓음

극의 마지막이 슈퍼파워를 지닌 물건 쟁탈전이라는 것도 그렇고 타노스의 계획이 푸치신부 어레인지 비슷한것도 생각하면 루소형제가 인워랑 엔드게임 각본 쓰기 전에 죠죠 5부랑 6부 본건 확실한듯

추기) 생각해보니 평행세계 왔다갔다 하며 인피니티스톤 찾기도 스틸볼런의 성인의 유해 찾기랑 비슷함 7부도 읽었는듯. 아라키선생님은 이거 보고 어떻게 생각했는지가 궁금하다. 누가 인터뷰로 물어봤으면








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